NHKの朝ドラ(朝の連続テレビ小説)「スカーレット」で主人公の女性陶芸家が夫である陶芸家に語る。夫は三年前に受賞した作品への強い思い入れがとらわれになり、スランプに陥ってしまった。
「前に進むということは、作ったもんを壊しながら行くということや」
再婚して痛感させられていること
五十台半ばをこえて、思いがけずも再婚することになった。新たな連れ合いと同居生活を始めることは、これまで長年蓄積してきた生活が、壊される出来事に右往左往することでもある。その一つが食事。例えば、卵焼きの味付けが正反対である。こちらは少し甘めが好みなのだが、連れ合いは出しと塩味だけで砂糖は入れない。また、台所の敷物は不潔になるからやめたい、とのご要望。
当然ながら、掃除や洗濯などの仕方も全く違う。更に、十二歳になる子犬(トイプードル)の存在。生涯で初めて動物を飼うことになった。白内障を患っている老犬なので、新しい環境に馴染むのが難しいだろうと心配した。ところが、この子犬が認知症の母親と仲良く交わっている。三人と一匹、そして、時々顔を出してくれるエンジニアの息子(二十三歳)との賑やかな暮らしは、アッという間に一ケ月を迎えようとしている。
横の関係を生きる
過去、結婚生活を壊してしまった痛みを抱えるこの身。正確には、自分で壊そうと思って壊したのではなく、壊したくないと思っていながら、悲しいことに壊れてしまったのである。省みれば、こちらが大事にしていることを守ろうと力んだことで、最も大事なものが壊れてしまった。そんな自身の愚かさ、煩悩という迷いの内実を学んだ。この経験を無駄にしたくないと思う。言い換えれば、これが絶対正しい、こうでなければならない、ととらわれる(=煩悩)と力によって相手だけを変えようとしてしまう。そんな一方的な上下関係から自由になり、相手を尊びお互いが変わっていく横の関係を生きることが願われているのだろう。
その生活実践の場が、縁あって与えられた。 卵焼きの味付けは単なる料理の問題なく、念仏をどう響かせて生きるかの問題なのである。
念仏は自我崩壊の響きであり 自己誕生の産声である 金子大栄
〔真宗大谷派西誓寺寺報「ルート8」224号から編集して掲載]