NHK朝の連続テレビ小説『なつぞら』で進路をどうしようか悩む主人公に育ての親(母親)は北海道の言葉で語る。このセリフに乗っかかろう。「一人で苦しむのならお寺はいらない」。
四苦八苦
人間が抱える苦しみに向き合い、それを根本的に克服する道を明らかにされたのがお釈迦さま。生きていることが苦しいと感じたとしたら、それはお釈迦さまと同じ出発点に立ったということだ。お釈迦さまは、人間である以上誰もが避けることのできない苦しみを「四苦八苦」と説く。
四苦とは生老病死の苦しみ。自分の場合、若い頃は何でこんな家(お寺)に生まれてしまったのだろう、と生苦を味わい、四十代に離婚などの激動を通してうつ病に苦しんだ。五十代を迎えて急激に視力が低下、老いを実感する。最近は、ちょっとした風邪をひくと三週間とか一ケ月ひきずるようになってきた。ふと、いつまで生きていられるかなあ、と死の不安がよぎることがある。
八苦では、次の四つの苦しみが加わる。まず、「愛別離苦(あいべつりく)」は愛する人と別れる苦しみ。注いだ(注がれた)愛情が大きいほど別れの苦しみは大きいのだろう。大切な人を亡くすと夜眠れなくなったり、食事が摂れなくなる。「怨憎会苦(おんぞうえく)」はその逆。嫌な人に会わなければならない時、胃がキリキリ痛んだりする。更に「求不得苦(ぐふとくく)」は欲しいものが手に入らない苦しみ。物だけでなく、周りの評価、健康などもそうである。これも逆がある。「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」。耳が良過ぎるとコソコソ話の悪口まで聞こえてしまう。いろんな能力が豊かで盛んにはたらき過ぎるが故に生み出される苦しみがある。
苦しみを乗り越える道に出あうチャンス
お釈迦さまの教えがなかったら、私たちは何故苦しむのかわからずに、ただもがく毎日になるだろう。だから、苦しみを感じることはダメなことでも、恥ずかしいことでもない。それどころか、絶好のチャンスなのである。苦しみを確かめるチャンスであり、苦しみを乗り越える道に出あうチャンス。そして、このチャンスを大切にしてきた人間の歴史が、お寺という場になっている。
[真宗大谷派指月山西誓寺寺報「ルート8」213号を編集して転載]