コロナは怖い
国内で新型コロナウィルス感染により亡くなられた人は、千人に迫る数になっている。敦賀とご縁の深い大和田獏さんのお連れ合い岡江久美子さんもその中の一人。コロナの怖さが身近なものとなっている。
昨年の犠牲者は千九十八人
アメリカのミネソタ州で白人警察官が黒人男性に暴行し死亡させた事件をきっかけに、全土で抗議活動が拡大している。驚いたことに、アメリカでは昨年警察官が武力行使によって千九十八人もの一般市民の命を奪っている(黒人犠牲者は白人の二倍)。今回の事件は、そうしたアメリカという大国の闇を照らし出すものといえる。
四つの怖さ
海の向こうの出来事だが、感じている怖さが四つある。一つめは皮膚の色にとらわれることの怖さ。二つめは、警察という公権力が暴走する怖さ。そして、三つめはこうした二つの怖さを抱えている国の大統領が怖さを自覚していない、怖さである。更に何よりも怖いのが四つめ。そのような大統領の言動にただ従い、武器や農作物を大量に買わされている自国の首相に対して、他の人よりもマシだと思いたいねじれた愛情だ。
無三悪趣の願
さて、阿弥陀仏の本願とは、時代を超え国や民族を超え、あらゆる人の中に流れている地下水のようなものと教えられる。第一願は無三悪趣の願。地獄・餓鬼・畜生のない国であってほしいという願い。
欲望にとりつかれている(=餓鬼)人間によって、犠牲になる(=畜生)人間を生み出し、分断・対立する苦しみ(=地獄)を繰り返す(=流転)。そんな娑婆世間に生きるわれらを覆う迷いの連鎖を切ること、地下水が噴出して大地を潤すことが願われている。
幽霊になる怖さ
別の側面からいえば、コロナ渦が始まった頃「トイレットペーパーがなくなる」というデマがあった。マスコミやネット情報に翻弄され(=畜生)、自らも買い占めに加担してしまう(=餓鬼)ことで、更なる混乱をもたらした(=地獄)。こうした自身の濁った在り方全体が、〈それでいいのか〉と問われている。自身に向き合うチャンスが与えられているのである。にもかかわらず、チャンスを見失うと、〈いのち〉本来の立場が侵されている怖さに気づかないだろう。
人間の姿形をしていながら、フワフワと地に足がつかず彷徨ってしまう。そういう状態を幽霊という。
[真宗大谷派指月山西誓寺寺報「ルート8」225号から転載]
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