仏教精神を体現
仏教について詳しい人、仏教の言葉の意味をたくさん知っている人は、探せばさほど苦労することなく見つかるだろう。でも、今日仏教に徹して生きている人、仏教精神に身を捧げて全生活を営んでいる人にはなかなかお目にかかることはできない。
小浜にある真言宗御室派明通寺のご住職中嶌哲演さんは、そんな時代にあって、仏教精神を体現されている希少な存在と言える。三月、NHKの宗教番組「こころの時代」に中嶌住職が出演された。二年前の再放送だったが、印象に残る場面がいくつもあり、改めて考えさせられた。その一つが、若い時に敦賀にある日蓮宗のお寺のご住職後藤日雄さんから学ばれたこと。後藤住職はシベリア抑留を経験した元出征兵士。口先ばっかりじゃダメ、と戦争の実態を托鉢しながら人々に伝え、歩き続けたそうである。歩いて歩いてボロボロになった靴を直して…。今月の掲示板はその後藤住職がおっしゃっていた言葉。
托鉢での学び
この言葉について中嶌住職は語る。
道を守っていく。正しいことをやっていく、それが食につながる。逆に食のために道を失ってはいけないと。自分の生活、今日明日の糧のために、少々嫌なこと、不当なことでも、それを我慢して、見ざる、言わざる、聞かざる、を決め込んでいくというのは、これは宗教者にあってはならないけど、宗教者にもあるし、一般の生活者の中にも結構こういう生き方というのは、少なくないですよね。その点本当に小さなまぁいわば貧しいお寺で、しかも奥さんと子供さんを托鉢一本で子供さんたちを育てられながら、自分の信念を貫き通しておられた後藤上人の姿には本当に学ばされることが多かったわけですね。
私も後藤さんのお供をして一緒に托鉢したときに、体験したことですが、非常に立派な屋敷を構えている家では、私たちの姿をだいぶ前に確認されたと見えて、その家の奥さんがぴしゃっと玄関の戸を閉め切ってしまわれてね、私たちの托鉢する余地がなかった。一方ですね、もうお家も非常に貧しそうで、障子も破けたような、土間に托鉢で足を踏み入れた時に、髪をぼうぼうにした奥さんが、子供を背負った奥さんがね、「ちょっと待っていてください」って奥へ引っ込まれて、一升マスにお米を盛ってね、托鉢してくださったんですよ。年末の本当にあわただしい年の瀬で、そのお家にとっても大変だったと思うんですけれど、…もちろんありがたく礼拝はしました、合掌しましたけれども、だからといって、貧しい人からそういうふうにもらったから、特別また何か、特別のこちら側の対応をするというのも、それはまた行き過ぎなんですよ。不当な無礼な扱いを受けても、それを雲が流れていくように、水が流れていくように受け止めていくというのが、托鉢行の根本の精神なんですよ。平等に接していく、すべての人にね。そういう托鉢のありようというのも後藤上人から学ばされていますね」
食よりも大事なことが見えなくなっている
新型コロナウィルスの担当は、経済再生担当大臣。そして、国民への支援は、経済対策として行われている。今、経済すなわち食よりも大事なことが見えなくなっているのではないか。道の中にこそ食はある。
[真宗大谷派指月山西誓寺寺報「ルート8」223号から一部編集して転載]
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