ゲーテの言葉
NHKBSに「世界ふれあい街歩き」という番組がある。ドイツのワイマールを訪れる回では、街の様々な場所に文豪ゲーテの言葉が刻まれ生活の中で大事にされている様子がとても印象的だった。その言葉の一つが〈新しいもの、そして驚きに触れる冒険の価値を知ることが人生の喜びだ〉
二種類の喜び
喜びには二種類ある。①つめは自分の思い描いたことが満たされる喜び。入試に合格したり、多くの収入を得られた時などがそうである。欲しいものを手につかみ取る喜びと言ってよい。②つめは、自分の思いの底が抜け、思いよりも大きなものに出あう喜び。驚きに触れる喜びだ。
古歌にいわく
さて、正月の行事=修正会では『正信偈』をお勤めした後、本願寺第八代蓮如の手紙『御文』の一帖目第一通を拝読する。元旦の日に一年間の生きる方向を問いかけて下さる少し長めの手紙。次のような古歌が紹介される。
〈うれしさを むかしはそでに つつみけりこよひは 身にも あまりぬるかな〉
袖に包むようなうれしさが①、身に余るうれしさが②だろう。②は〈身のおきどころもなく、おどりあがるほどにおもう〉うれしさなのだと。
①の喜びはわかりやすいし、普通我々が求めているのはこれである。この喜びを何とか手にしたいと神社に初詣するのだろう。では②の喜びはどうだろうか。①の喜びとは次元が違う喜びであり、この驚きに触れる冒険が仏道となっているとも言える。
驚きに触れた事例
高齢の父親を介護する長男さん。仕事でチームを組んでいた同僚が離れることになり、二人分の分量を背負ってしまった。介護と仕事、どうにもならないほどに一人で抱え込み、途方に暮れて生活していた。そんな時、たまたま受診したお医者さんからこうアドバイスされたそうだ。
「全部自分でやろうとしたらダメですよ。介護であれば、行政で支援する制度がいろいろあるのでそれを利用すればいい。……」
その瞬間、アッと気づかされ、スーッと肩の荷が下りて、身が楽になったそうだ。自分の思いよりも大きな心に触れる驚きによって、それまで自分が自分が…とカチカチに固めてしまっていた心が、思いがけずもほどけることがあるのだ。似たような経験は誰もがあるのではないだろうか。
とはいえ、介護の現場では何が起こるかわからない。一難去ってまた一難と、冒険は続いているが、市外に住む妹夫婦に助けてもらったりしてこなしている、という。
[真宗大谷派指月山西誓寺寺報「ルート8」220号から一部編集して転載]
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