伝説の国語教師橋本武さんの言葉。灘中学校で教鞭をとられていた時は、小説『銀の匙』を3年かけてゆっくりじっくり読み込む型破りな授業を展開、作家の遠藤周作さんをはじめ、政財界・官界・学界・法曹界などさまざまな分野で輝きを放つ人間を傑出させた。
テレホンカード
40年ほど前、主な公衆電話は赤色だった。利用できるのは小銭だけ。長距離電話の場合、用意していた小銭が途中で足りなくなり、ピーッとなって切れる後味の悪い思いをした経験のある人いるだろう。緑の公衆電話とテレホンカードの登場によって、そんな心配は少なくなり、カードは収集するマニアによって高値取引されるものまであった。今日、一人一台携帯電話を持つ時代。街中で公衆電話の姿は激減し、未使用カードが引き出しの中で何枚も眠っている。
役に立たずに生まれ、役に立たずに死ぬ
そもそも赤ん坊として生まれた時は、泣いて乳を飲み、それを体外に出す、そして寝る、それだけの毎日。何の役にも立たない生活、しかも周囲の支えが絶対に必要。でも、そんな赤ん坊の笑顔がこちらに力を与えてくれる。
年齢を重ねて死を迎える時も、何の役にも立たない。しかし、寝たきりになっている身近な人の姿を看て、何とか生きていてほしい、と念じる。役立たずに生まれ、役立たずに死んでいく、そんなわれらである。
「不要不急」の豊かさ
新型コロナの大きな波の中で、「不要不急」の外出禁止が要請された。何が「不要不急」なのか自分で考え判断して下さい、と。お店が閉まり、学校も休み、さまざまな行事が中止された。このことで、生活の中に「不要不急」がどれほど多いかが明らかになった。言い換えれば「不要不急」の営みを繰り返しているのが人間の実情なのだ。あなたがやっていること、やろうとしていることは「不要不急」ではないですか、と問われると「不要不急」のものに関わっていることが、ダメなことのように感じてしまうが、そうではないのだろう。「不要不急」の営みに力を注いで行けること、「不要不急」を充実させることが、人間の自由と豊かを表現するのではないか。
報恩講の問い
今年の報恩講も愛知県から講師(加藤久晴さん)をお招きする予定をしていた。しかし、残念ながらコロナ事情で行事縮小。お話は住職が担うことになった。
報恩講が大切に伝統されてきた。それは役に立つかどうかよりも広い世界に出あった感動の歴史といえる。そんな世界からの願いをご一緒に確かめたい。
[真宗大谷派指月山西誓寺寺報「ルート8」228号より編集して掲載]
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