教科書が変わり中学英語が難しくなる
愛知県の塾ネクサスのブログから引用する。「来年 ( 編集注 新年度)から中学校で使う教科書が変わります。…大きな変更点は、英語の教科書が劇的に変わることです。どう変わるかというと、本文が激増します。体感では2~3倍の英文の量に感じました。のんきにやってたら9割の子がついていけないと思います。…小学校で英語が教科になりましたが、…英文を読んだり、単語を書いたりするわけではありません。つまり、中学英語に全くつながらないのです」
福井県の事情
既にご案内の通り、新年度から中学生対象の「遊学塾」を開く。その一環で、福井県公立高校の入試問題をチェックしてみた。設問はどれも練られていて簡単なものはなく、幅広い能力が求められる。できるかできないか、二極化する問題にビックリ。 教育関係者から情報収集した。福井市の超進学校に優秀な生徒を集める県の方針により、学区が全県一円へと変更され、英語教育にも特別な力が注がれてきたとのこと。
授業は原則全て英語
知事が変わり、その圧力は軟化したそうだが、このたびは十二年ぶりの教科書大幅改訂、つまりフルモデルチェンジである。英語教師の先生方は何年も前からいろいろと準備をされておられると思うが、現場に混乱が生じても不思議ではない。
特に、原則全て英語での授業になることは生徒にはとても厳しい環境ではないか。日本語で質問すると、先生からは「英語で(in English)」と返答されるのだろうか。
また、中学一年生の夏休みまでの期間は「小中接続期」と位置づけられ、小学校で習った英語を一気にこなす詰込みカリキュラムが用意されている。
一人から始める
英語が好きな生徒、得意な生徒にとっては、新鮮で刺激的な時間になるだろう。一方、どこかにひっかかるものを抱いたり、つまずいた生徒は、英語が原因で学ぶ意欲そのものを失ってしまう心配があると思う。
二十年ほど前、お寺に戻った時「塾をやったらどうか」と勧められたことがある。しかし、受験至上に陥っている教育の歪んだ在り方に抵抗を感じ、これまで子どもに対しては全く別の立場から関わってきた。
しかし、今回の教科書大幅改訂という荒波を受けて、一人でも自分を必要として下さる生徒がいれば、その一人にどこまでも向き合い、苦楽を共にしたいと思っている。
一人だから始まる
よく、人間はちっぽけな存在で、一人では何もできない、などと言われる。逆だろう。一人だからこそ、できること始まることがある。ちっぽけな存在は、無限の可能性が埋もれているかけがえのない一人。氷山のように地上に現れ出ている姿の何倍もの塊が海面の下に隠れている。
荒波を乗りこえて成績をグーンと伸ばしていく学びに寄り添い、その巨大な塊を見つけ出すお手伝いが出来ればうれしい。
[真宗大谷派西誓寺寺報『ルート8』232号から転載]
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