身近な存在になっている鬼
昨年秋に公開されたアニメ映画「鬼滅の刃」。劇中のセリフが国会答弁で使われたりするほどの流行である。
子どもの頃、代表的な遊びは鬼ごっこ。昔話「桃太郎」はきびだんごによって猿・犬・キジを家来に従え鬼退治に出かけた。節分には、「鬼は外、福は内」と全国で豆まきの声が発せられる。いつも悪役になって私たちの身近なところにいる鬼。果たしてその正体は?
命根を奪う
親鸞の主著『教行信証』(日ごろお勤めする「正信偈」は行巻に所収)化身土巻では、最後のところで魔と鬼に関する引用が続く。
(往生要集) 源信、『止観』に依って云わく、
魔は煩悩に依って菩提を妨ぐるなり。
鬼は病悪を起こす、命根を奪う。
魔とは、普段考えられないような誤った言動をとってしまった時の理由に使われることがある。その原因は煩悩に支配されることによって、何が本当なのか、人間としてどうあるべきか…と純粋に道を求める心が失われることにある。一方、鬼は病悪を起こすもの。仏教でいう病悪とは煩悩に他ならない。そして、煩悩は命の根っ子を奪う恐ろしいものなのだ、と。
青鬼・赤鬼・黒鬼
つまり、鬼は自分の外にいる悪役ではなく、自分の中で自身を迷わし苦しめる張本人となる煩悩なのだ。煩悩は人間の目では見えない、形のない精神作用。つかみどころのない克服課題だから、先人は普段から強く意識できる標的として鬼を描いたのだろう。誰もが煩悩の怖さに気づくように、との方便である。
三毒と呼ばれる代表的な煩悩―貪欲(欲望に振り回されて飽くことがない)・瞋恚(怒り腹立ちや妬み)・愚痴(無明)―は、それぞれ青鬼・赤鬼・黒鬼に化ける。青鬼と赤鬼は自分もそういうところがあるなあ、と意識できるかもしれない。
問題は黒鬼である。自分の立場を守ることにとらわれ、独りよがりになり、結果として周りを傷つけてもそれに気づかない愚かさと言える。女性蔑視発言で五輪組織委員会の会長を辞職された森喜朗氏は真宗門徒。ちょっと口がすべってしまった(魔が差した)との意識はあっても、その奥に潜む黒鬼に苦しんでおられるようで、痛々しい。
東京ディズニーランドの黒鬼退治
東京ディズニーランドの園内放送。従来、「紳士淑女諸君(Ladies and Gentlemen)」「少年少女のみんな(Boys and Girls)」という言葉を使っていたが、最近「こんにちは皆さん(Hello Everyone)」などに改められた。LGBTQと呼ばれる性的少数者への配慮がなかった、との理由。黒鬼退治をした事例である。
[真宗大谷派西誓寺寺報「ルート8」233号より転載]
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