泉惠機先生が還浄
当院の報恩講法話講師として長年ご指導いただいた泉惠機先生(元大谷大学教授・長浜市清休寺住職)がお亡くなりになられた。晩年はアルツハイマーとの闘病。一年半程前に彦根の病院へお見舞いに伺った時は、既に寝たきり状態で言葉のやりとりはできなかった。コロナ事情もありそれきりでの悲報に、まだ心の動揺が収まらない。
門徒さんにはとても優しく、学生や僧侶には厳しい人だった。報恩講での休憩中、門徒さんから携帯に電話。採ったキノコが食用かどうか知りたいというのが要件だった。こんな微笑ましい交流が門徒さんと日常的にできる関係をうらやましく思った。
たくさんの引き出し
本山(東本願寺)に絵表所という掛け軸などを担当する部署がある。そこの職人さんと泉先生のことが話題になつたことがある。印象をこう語られた。 「これまでいろんな人に会ってきたが、あんなにたくさんの引き出しを持っている人はいない。それから大学の教授ではあるが、自分たち職人と対等な感覚で自然に接してくれる。教授という肩書があると、口では平等を教えていても意識の中は全く違う。心に中に壁があり、誰さまだと思っているのか、という雰囲気を漂わせている人が多い…。」
耳の底に残る言葉
生涯を人間の平等ということを課題にして歩まれた。部落差別やアイヌの問題に向き合っていかれる中で、高木顕明(※)という念仏者を見出し、名誉回復されたお仕事は歴史に残るものといえる。
御経や親鸞の著した聖教そのものに触れなさい。意味がわかるわからないではなく、原文から響いてくるものを大事にするように、と教えられた。耳の底に残る言葉がある。
「和讃に〈平等覚に帰命せよ〉とあるでしょう。〈平等に帰命せよ〉ではなく覚の字がついています。なぜ覚の字があるのか、よくよく考える必要がありますね」
平等覚に帰命せよ
人間は平等である。だから、偏見を抱いたり差別することがないように心がけさない…。そう教えられても、偏見や差別は繰り返されてしまうのはなぜか。差別しようと思って差別するのではない。差別はいけないとわかっているのに、結果的に差別してしまい人を傷つけて
いるのだ。そういう愚かな身の事実へのうなづきが、〈平等覚に帰命〉したということ。そして、ああそうだったのか、痛ましいことだ、と気づかされた出あい、ハッとさせられた驚きが〈南無阿弥陀仏〉の伝統となり支えとなり、人間の営みが綿々と続いているのだ…と。
動いて 進んで 貫く
「動いて、進んで、自らの信念を貫いた人でした。いろんな人と交わることが出来てとても楽しい人生だったと思う」葬儀を終えた泉先生のお連れ合いのごあいさつが沁みる。合掌
〔真宗大谷派西誓寺寺報「ルート8」234号から転載〕
※たかぎけんみょう(一八六四~一九一四)和歌山県新宮市乗泉寺住職。日露戦争に対して非戦論を提唱、公娼制度にも反対した。一九一一年大逆事件で逮捕。無実の罪であるにもかかわらず、真宗大谷派は永久除名の処分を下した。泉先生のご尽力で念仏者としての事績を顕彰、一九九六年に名誉回復に至った。。 |
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