インド独立の父=ガンジーの精神
インド独立の父=マハトマ・ガンディー著『私にとっての宗教』から引用する。
非暴力は、「悪に対する真の闘争をすべて断念すること」ではない。それどころか、私が考える非暴力は、その本質が悪を増大させるに過ぎない報復ではなく、悪に対する、より積極的な真の闘争である。私は、不道徳に対する、精神的な、したがって道徳的な反抗をもくろんでいる。私は専ら、より研ぎ澄まされた武器を振りかざして対抗するのではなく、私が力ずくの抵抗をするだろうという相手の予想を裏切ることによって、圧制者の剣を鈍らせようとするのである。私が行う精神の抵抗は、圧制者をうまくかわすだろう。それはまず、圧制者を茫然とさせ、そして最後には承認を取りつけるだろう。その承認は、彼の面目を失わせるものではなく、彼を高めるものとなろう。
暴力(煩悩)をこえる
ロシアのウクライナ侵攻を巡って日本列島に住む人々の中からこんな声がちらほら聞こえる。「わが国も敵基地攻撃能力を保有すべきだ」「核兵器を同盟国(アメリカ)と共有することが安全保障を強化させることになる」やられたらやり返せ、やられる前にやってしまえ…という狭い発想にドップリ浸かっている。暴力によって現実を思うがままにしようとする煩悩(=瞋恚)に、こちらも煩悩を大きく膨らませて対抗しようとするわれらである。
一方、煩悩に迷わされて自分を見失っている圧政者に同じ土俵の上で戦うのは全くもってナンセンスだ、というのがガンジー流。何千年も戦争の悲劇を繰り返してきた人間を案じ、仏から届けられた智慧と言える。
こんな時こそ念仏
親鸞聖人の生きた時代、朝廷と鎌倉幕府が戦争をする前代未聞の事件が勃発した。承久の乱である。聖人は手紙(御消息)にこう記している。
世にくせごと(※)のおこりそうらいしかば、それにつけても、念仏をふかくたのみて、世のいのりにこころいれて、もうしあわせたまうべし… ※曲事=承久の乱のこと
つまり、こんな時こそ念仏を拠り所として生きよ!世の安穏をいのり〈南無阿弥陀仏〉と仏の名を称えよう!と説かれたのである。
[真宗大谷派西誓寺寺報「ルート8」244号より編集して掲載]
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