京都国立博物館で親鸞特別展開催中
現在、京都国立博物館で、親鸞聖人生誕850年特別展が開催されている。(五月二十一日まで)宗祖親鸞聖人の求道と伝道の生涯を自筆の名号・著作・手紙をはじめ、彫像・御影・絵巻など法宝物を一堂に集め紹介するものである。
印象に残った展示―仏光寺伝絵―
足を運んだのは平日だったが、入場制限が設けられる混雑。館内では何年も会っていなかった知人と顔を合わすこともあった。自分にとって、これまで書物や話の中で触れてきた宗祖の歩みが実物を通して確認でき、胸が熱くなった。特に印象に残ったのが、仏光寺所蔵の伝絵である。伝絵とは宗祖の生涯を絵と文章で伝える巻物。時を経て、絵と文章は分離された。年に一度絵をお飾りし文章 (御伝鈔)を拝読する行事が報恩講である。
展示されていたのは、巻上の「六角堂参籠」の段。九歳から比叡山で修行していた宗祖は、このまま続けるか、山を下りて法然が説く念仏の教えに転じるべきか、大きな決断に迫られる。二十九歳の時である。百日間、京都の街中にある聖徳太子ゆかりの六角堂に参籠し、後者を選択することになる。その時の様子が描かれている。宗祖の視線は外にある。散切り頭で騒いでいる二人組(罪人?非人?)、顔を隠した異形異類の輩、鼓を持つ遊女、彼らを眺めている人、扇子を開き見て見ぬふりをしている人。宗祖の後ろには手足のない人、この絵葉書の範囲外には猿回しなども…。
世のいのりにこころいれて
二十年間、世間を離れて修行に励んできたが壁にぶち当たってしまった。ちょっと山を下りてみよう。目の前に広がったのは、思いもよらない世界。偏見や差別に苦しみながら生きている人々。その厳しい現実に、これまでの自分の立場が打ち破られるような衝撃と目覚め…。こうした人々と共に救われる道はどこにあるのか。参籠の場で宗祖に与えられた信仰課題だろう。
一方で、宗教 (念仏)は心の持ちようだ。世の中のこと、社会のことは世間(娑婆)の問題で切り離して考えるべき…。と受け止めている人は少なくない。その背景には、今日寺院(含む当院)で飾られる「六角堂参籠」の段の絵が、救世観音菩薩像の前で合掌する宗祖の姿に変質してしまった歴史的濁りがある。
宗祖が晩年の手紙で「世のいのりにこころいれて」念仏申せ、と呼びかけた声に立ち帰るきっかけになる特別展といえる。
〔真宗大谷派西誓寺寺報「ルート8」256号から転載]
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