何でもいい、話すこと。それに尽きる。

音を翼にー佐治薫子とジュニアオーケストラー

朝日新聞記事(7/23)から。世界的指揮者山田和樹さんは子どもたちへの音楽指導で注目している佐治薫子さんを質問攻めにする。

「学校生活に適応できない子や、人付き合いの苦手な子がいたらどう接するんですか」

「何でもいい、話すこと。それに尽きる。…そうすると問題が起きるのを未然に防げる。…とにかく声をかける。悩みを聞き出すとかそんなんじゃなくて」

自分と一緒に過ごすことを、楽しんでくれる人がここにいる。話を聞いてくれる存在がいる。それだけで人間は自分を肯定することができる,。

「音楽が嫌いな子を好きにさせる自信はありますか」佐治は即答した。

「あります」一体どうやって?

「1音でいい。その瞬間のすべての集中と愛情をこめ、最上の1音を出しなさい。それだけを教えます。本当に心を込めた音は絶対に誰かに伝わると子供たちは自分で気付きます」

「10を伝えようとして10が伝わることはない。伝えるべきことを一つだけ選び抜き、シンプルに」 

お盆=亡き人からの1音を確かめる

さて、お盆をお迎えする。亡き人からどんな1音が伝えられたか。今もこの身の中で鳴り響き決して消え去ることがない…そんな尊い1音を確かめるご縁と言える。同時に、自分が伝えたい1音は一体何なのか。あれもこれもではない、たくさんあるものの中にあるどれでもいいどれかでない、ただ一つこのことだけ。それは、魂を込めて捧げる願いであり、ウソ偽りや余分な飾り・雑音を排した本音。ピーンと張りつめた1音である。

上手く調律するためには、頭の中でグルグルと考えるのではなく、何でもいいから声にして話す。そして、他者の声を聞く。その響きが〈南無阿弥陀仏〉だろう。

[真宗大谷派西誓寺寺報「ルート8」270号から転載]

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