ムツゴロウさん(畑正憲さん)のアドバイス
ムツゴロウさんと呼ばれ多くの人に親しまれた作家・動物研究者の故畑正憲さん(1935~2023)はペットロスに悩む人たちの相談に、諦めずに次のペットを飼って欲しいと言われたそうだ。
「新しいペットを飼いますとね、前のペットと繋がっているってことが分かるんですね。姿や仕草に、亡くなったペットの面影を感じながら思い出を忘れずにいられる。一緒に生きた長い時間、共有したものが心の遺伝子になっているんですね。あらゆる命は繋がって続いていくものです」
一緒に生活することを通して共有したものが〈心の遺伝子〉になっているという感覚に、北海道で数多くの様々な種類の動物たちと共同生活を営んでいたムツゴロウさんの人生が凝縮している。本来遺伝子とは血のつながりを成り立たせる基本単位のこと。でも、たとえ血がつながっていなくても心においてつながっている、と。同様の感覚をお釈迦さまも動物に抱いていたのかもしれない。お釈迦さまが亡くなった時を描いた絵(涅槃図)には、シカやウサギやゾウなど動物が泣いている。ムツゴロウさんのような動物との深い関係を伝えるものだろう。
一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり
『歎異抄』の第5章を引用する。
親鸞は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情(うじょう)はみなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母・兄弟なり。
意訳すると――
この私 (親鸞) にとっての念仏は、父母のためと特定して何かをするというものではない。父母をご縁として、あらゆる生きものと共有している心の遺伝子のようなもの、血がつがっていなくても父母兄弟であるかのような親密なつながりが確かめられるものである。
人間とペットの関係
五年前、庫裏の二階でトイプードルを飼っていた。諸般の事情で十ケ月という限られた期間ではあったが、一緒に暮らした時の楽しい思い出が記憶に刻まれている。だから、今犬を連れて散歩している人に会うと、犬の様子が気になり視線が動いてしまう。仕事で伺ったお寺にトイプードルがいた。毛色は違ったが、面影が重なる。住職さんに了解をとってしばらく遊ばせてもらった。少し太っているかなあ、元気で人なつっこい姿はよく似ていてかわいいなあ…。そう感じると同時に、自分が飼っていた犬の名前が何度も浮かんでは消え浮かんでは消えた。
犬は人間のエゴが作り出した動物だ、とも言われる。確かに何度も交配を繰り返し、人間に都合のいいような性格や容姿へと変えてきた生産物でもある。サーカスで活躍しているプードルの背の高さは人間の腰ほどある。トイプードルはその数分の一サイズ、簡単に抱くことが出来るようにしてしまったのだから…。でも、うれしい時に体全体で気持ちを爆発させる姿は、日常生活に埋もれると無機的に固まってしまう自分の心をほどいてくれるやさしさに充ち溢れていた。
人間の本性・根本に帰らんとする魂の遺伝子
また、ペットになる前の習性が根強く残っている部分も‼ピンポーンと玄関のチャイムが鳴ると吠えて落ち着かなくなり困った。犬はかつて狼だった。群れによる集団生活では、味方に危険が迫ると遠吠えをして伝えた。その声の調子にチャイムが似ているためだと知った。
われらも日ごろは「世間」に従って生きるペット状態‼念仏は、「世間」をこえて人間の本性・根本に帰らんとする魂の遺伝子である。
〔真宗大谷派西誓寺寺報『ルート8』277号から転載]
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