国から「愛される心」
5年ほど前、フィンランドに住んでいた知人女性から、ビザの更新で役所を訪ねた際の話を聞いた。
窓口 これからは社会保障の対象になって、子ども手当てが出ます。
知人 え?そんなのもらっちゃっていいんですか?(勝手に来て、2年しか滞在しない外国人なのに)
窓口 あ、あと、あなたシングルなんですね。ひとり親手当もつきます。いま申請しますよね。
知人 マジで?(日本では230万円の所得制限でもらえなかったよ⁉)
窓口 もちろん。だって大変でしょ~ひとり親は。
そのとき、知人の胸がリンドン鳴った。私、この国に、愛されてる―。
母国日本では肩身を狭く、心を固くして暮らしてきたという。「そんな私を大事に扱ってくれた北欧の国へのほのかな忠誠心?みたいなものが芽生えた。そのために、外国人である自分もできる限りのことをしたいって思ったんです」
以上、朝日新聞の記事から引用
愛する心は、愛されることで育まれる。もし、愛せよ!と指示・命令されて、愛せるのなら、 この世に片思いはなくなってしまう。
何をファーストにする?
「日本人ファースト」を掲げた政党が今回の参院選挙で大躍進した。この政党の「新日本憲法」構想案が波紋を呼んでいる。
一 天皇は元首として国を代表する
一 国民の要件は、…日本を大切にする心を有する
一 教育勅語は教育において尊重しなければならない 他
今年、戦後八十年を迎える。この国が平和の道を大きく踏み誤らなかったのは、一人ひとりに戦争の悲しみ・愚かさが深く刻まれてきたからだろう。ところが、戦争を経験した世代が周りに少なくなり、何をファーストにしなければならないのか、ぼやけてきたようだ。歴史の事実に向き合い、歴史から学ぶことができなくなっている、ともいえる。
國から「愛される心」とは真逆の「命令」によって出征した兵士の多くが、餓えや病気で亡くなった事実。その背景には、天皇神格化や教育勅語があった事実。更に、アジアの人々を差別し、傷つけた事実…。
外国人との間に壁を築き、その壁を厚く高くするのではなく、壁が扉となるような転換。「民族・言語・文化・宗教の相違を越えて…歩みをともにする(真宗大谷派『不戦決議』1995年)」ことをファーストにしたい。
真宗大谷派西誓寺寺報「ルート8」281号から転載 |
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