新年のテーマ
新年は「念仏ファースト」をテーマにしたい。「日本人ファースト」でも「アメリカファースト」でもない。また、「健康第一」でも「経済(お金)第一」でもない。
蓮如上人の言葉をお借りする。
後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、
念仏もうすべきものなり
『白骨の御文』
後生の一大事を心にかけて
〈栗の木柱と後生願いに真っ直ぐなものはない〉
今年の報恩講のお話でも紹介された、北陸地方で真宗門徒の生き方を表現した言い伝えである。栗の木は真っすぐな杉や桧などと異なり、グニャグニャ曲がっている。後生願いとは、信仰の厚い真宗門徒の別称、後生の一大事を心にかける人と言える。
彼らは世間的な生を大事にするのでなく、その生が死んた後の世界(浄土)を願って生きる。ここで言う死とは、身が亡びるということでなく、心情や態度・根性、更には生き方全体がひっくり返る、生きる立場が翻るというような意味合い。そして、後生を願った先師たちは、そうでない側から見ればとてもへそ曲がりのように思われた、ということだろう。皆が素直にハイハイと従うようなことであっても迎合することなく、気概をもって生きていた、とも言える。これが真宗門徒の伝統であり、戦国時代における加賀の一向一揆、約四半世紀前に展開された珠洲原発反対運動などが、その歴史を具体的に物語っている。
ところが、今日、先師が生活の中で感得してきた後生がわからない、後生を願えなくなっている。だから、身が亡んだ後どこかにある居心地のよい世界に往く?というイメージを膨らませるか、生きているうちが花、死んだらしまい、と世間にしがみついている?
そうであっても、否、そうならばなおさら、まずは念仏申すことをファーストに!
【真宗大谷派西誓寺寺報「ルート8」284号から転載】

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