物をいわぬ者は おそろしき

蓮如上人御一代記聞書

本願寺第八世蓮如上人の語られた言葉を中心にまとめられた『蓮如上人御一代記聞書』の87条から。「物をいえいえ」に続けて、このように仰せられた。そして、「物を申せば、心底もきこえ、また、人にもなおさるるなり」とも。

他にも「四五人の衆、寄り合い談合せよ」(120条)「寒なれば寒、熱なれば熱と、そのまま心の通りをいうなり」(203条)など、語り合うこと、自分の心に抱えているものを率直に言葉にすることの大切さがくり返されている。ところが、今日、コロナ感染拡大とそれに伴う環境変化によって、生身の人間同士が顔を合わせてじっくりと語り合う場は激減している。ネットでのやりとりだけでは〈おそろしき〉者になってしまう?

「同朋の会推進講座」から注がれる風

そこで企画されたのが、この春から真宗大谷派敦賀組で開催する「同朋の会推進講座」だ。

仏教の学びというと、厳しい行を一人孤独に修めていくイメージがあるかもしれない。しかし、語り合いもまた立派な学びであり、浄土真宗の伝統になっている。自分が内に抱える経験なり感じたことを声にして外に出してみる。すると、聞いた人がそうだなあ、と共鳴してくれる場合がある。或いは、自分はこうだと、追加・補足されたり、思いもよらない違った内容が示されることもある。語ったことが本当のところどうなのかと、人(同朋)を通して吟味され確かめられる。お互いを念じあい尊びあう世界から注がれる風は心地よい。

この講座カリキュラムでは、京都の東本願寺(真宗本廟)同朋会館で二泊三日生活し、帰敬式 (おかみそり)を受式する。賜る法名は「人と生まれたことの意味をたずねていこう」という呼びかけに応じた名前といえる。

同朋会館で聞いた耳の底に残る言葉

四十歳前後の数年間、同朋会館のスタッフだった。全国各地の門徒さんとの語り合いはとても味わい深く、今も心に刻まれている記憶が少なくない。――その門徒さんは、長崎県のお医者さん。自己紹介の際親鸞聖人に話すつもりで…と促すと、「実は最近医療トラブルがあって」眉をひそめて自分に言い聞かせるように「患者さんの命に責任を持つ立場なので、ミスがあってはならない。看護師に厳しく指導してきた」ところが、帰る前には晴れ晴れとした表情でしみじみとこう語られた。「胸にもやもやしていたつっかえがとれた。帰ったら、まず看護師に謝ろうと思う。謝れるウン謝れる…」

自分が普段求めているのは欲しいものが手に入る喜びであり、物事が思うようになる喜び。でも、人間には全く異質な要求、心がほどかれる喜びがあること、そして語り合う場が醸し出す不可思議な力を教えられた。

[真宗大谷派西誓寺寺報「ルート8」264号から転載]

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